「犬との約束」を観劇して

個人的な感想と解釈がメインの備忘録です。

台詞や歌詞に誤植等あると思いますが、出来るだけニュアンスでの齟齬が生まれないように書きました。加筆修正していくつもりですので、ご指摘がありましたらお気軽にお声掛けください。

それでは、舞台上の物語に沿って綴りたいと思います。1万8000字超えと長くはなりますが、少しでも楽しんでいただけたら幸いです。

 

目次

 

第一幕

 

M1 オーバーチュア

重低音から始まる。

朝日、昼光、夕日、夜、月光、夜明け、そして朝日。

観客にも舞台上の登場人物にも等しく、毎日変わらずにある日の流れを感じる。

農場での繰り返す変わらぬ日々、ラムと過ごしてきた時間、刻一刻と迫る別れの時、それぞれの日常、人生。

舞台セットの隙間から差し込む朝日が綺麗で、いつもここでまず泣いていた(涙脆い)。

オーバーチュアを始めとして、全ての曲が好きすぎるので、切実にサントラが欲しい。

 

M2 ダニエルとラム

語り手のみなさんの歌声がとんでもなく綺麗。園岡新太郎さんの第一声で鳥肌が立つ。

「生まれたときからずっと一緒 この青年と犬の絆は」って2人とも生まれたときからって考えると、ダニエルが青年ってことは、ラム結構長生きですよね。時代的にも、環境的にも、どうしても寿命は短いだろうし…でも「幼い頃から2人は一緒」とも歌っているから、一緒に育ってきたのかな。鳴き声を聞いてる感じだとすごく元気そうだけど、「いつか来る別れがよぎる度 ダニエルは強く抱きしめる」って歌詞もあるように、ラムが歳を取ってきていることは日々感じていたのかもなあ。ダニエルって別れや終わりが来ることから目を逸らさずに、常に意識したうえで、後悔がないように生きようとしている。そういう意味では織山くんに似ているのかなと思う。本人は「僕とは似てないかもしれないですね」って雑誌で言っていたけれど。ダニエルにとってのラムという存在の大きさをひしひしと感じる曲。

間奏で下手から走ってきて、土ジャンプをした後、手を広げて「ラム〜!こっちだ!」と呼ぶダニエル。この観客がラムになる瞬間好きだったなあ。「行くぞ!取ってこい!」って何かを投げた後、音が下手から上手に移動するの、本当にラムが元気に走り回ってるみたい。四つん這いで頭をブルブル振ったり、鼻をツンってしたり、寝そべって頬杖をついて見つめたり、上の方を指差して話しかけていたり、ラムと戯れるダニエルに癒される。バレエを彷彿とさせる動きも綺麗だったな。でも綺麗すぎることなく、かといってガシガシ踊るわけでもなく、ダニエルだった。踊ってはいるけど、ラムと戯れている動きとしてとても自然で、自然だけど、踊らないより魅力的。随所で言っていた「表現に境界線はない」ってこういうことなのかなと思いながら観ていた。

 

M3 人として

岡幸二郎さん顔小さっ!?何等身!?三倉佳奈さんも顔小さ…

マクレガーさんが「あなただけ特別扱いするわけにはいかない」と言いつつも「素直に出ていってくれさえすれば、新しい仕事と、親子2人で暮らせる家は保障すると言ってるのに」と言ったり、約束分を支払えなくても無理に追い出そうとしなかったり、「強情なお人」と言ったり、メアリーのことまあまあ時別扱いしてて笑ってしまう。わたしはマクレガーさんはメアリーのことが好きなのかなと解釈してます。「私の寛大な心に感謝するように」とかも、ちょっといい人に思われたいのかな、とか。

仕事と家を保障すると普段から言ってくれてるような口ぶりなのに、「ここで暮らせなくなったら私たち親子は路頭に迷います」と言っているメアリー。後のシーンで友人たちに「そんなに簡単に仕事なんて見つからないわ」と言っていたことからも、マクレガーさんに頼る気が無いっていうのと、あとは夫の農場を守るっていう生きる指針がなくなってしまうから、そう言う意味で路頭に迷うっていうのもあるのかな。

「あっ…マクレガーさん…こんにちは」って少し気まずそうで、俯きがちにタオルを弄るダニエルに人見知りなところや内向的な性格を感じる。それと同時にまたラムの存在の大きさを実感する。

「君も学校くらい行きたいはずだ。この歳で友達の1人もいないなんて何と寂しい人生か。お母さんの農場を手伝うのも大変だろう」というマクレガーさんの言葉に、「今日はお引き取りください」と高圧的に、ダニエルの肩を引き寄せながら言うメアリー。夫との思い出が大切なことや夫が作った農場を守りたいって言うのは本当なのだろうけど、夫だけでなくダニエルまで失いたくない、閉じ込めておきたいって気持ちもあるのだろうな。ダニエルのことを想っているのも本当だろうけど、心のどこかではこのままじゃ駄目なことに気づいているのに、ダニエルが大丈夫だよって言ってくれるのがわかってて、許されて安心したいんだろうなと感じる謝罪であったり、お母さんにすごく想われれているのにどこか寂しそうなダニエルであったり。中でもわたしが一番しんどかったのは「母さんの父さんへのその想い一番大事にしてほしいんだ」って少し気丈に振る舞うダニエルに対する「貴方のその優しい心と綺麗な目。父さんにそっくりよ」という言葉。ダニエル自身じゃなくて、夫のことを見ているんじゃないかなって。ダニエルのこと真正面から見てあげられていないんじゃないかなって。メアリーの気持ちもよくわかるけど、痛ましい気持ちになってしまう。「唯一心通わす愛犬のラム」って歌詞に、お母さんとは?って思ったのだけど、こう考えると完全に心が通っていた訳ではないのかもなあ。

…などと考えてるときに、「ラムご飯!」の声に嬉しそうに走っていくラムと、「はやい〜」と笑いながら追いかけていくダニエルがとてもかわいくて癒される。ラムが足元を走ったんだろうなとわかる2人の演技もすごかった。

 

M4 報われる世界

マクレガーさんの主張も、労働者側の主張もどっちも理解出来る。

公式ホームページには「傘下の労働者たちを不当なまでに虐げ、搾取していた」と書かれていたけど、マクレガーさんはただ能力主義なだけだよな。

貧しかったけど努力して弁護士になったジョージ。多分マクレガーさんと今までの境遇や歩いて来た道は似ている。

お金が無いから、多額の費用と膨大な時間がかかる調査が出来ず、賃金を上げるための裁判に勝てない。悪循環。

マクレガーさんに対して今にも掴みかかりそうなときもあれば、スカーフを正して胸張って対抗しようとしてるときもあって、ボブの好きなアドリブその1。それを止めようとするトーマスとのコンビも好き。

 

M5 仕事の流儀

報酬を払う払わないの話、貧しさが心まで貧しくしてしまっているようで悲しかった。優しさや気遣いとは余裕だよなと。難しい。だからって報酬を受け取らないことが正しいとは思わないけれど。そのせいで実際にスーザンに苦労をかけてしまっている訳だし。

「仕事に誇りを持つ どんな結果になろうとも そうすれば堂々と対価を貰えるはずでしょう 自分のやったことに責任を持つとはそういうこと あなたは学生のお遊びをしたいの?」というのは、将来仕事をするうえで大事にしたいと心に仕舞った。常に良い結果が出せればそれが一番良いけれど、そんなに上手くはいかないから、せめて堂々と対価を貰えるくらいには誇りと責任を持っていたいですね。

横山だいすけさんの「それが僕さ」のロングトーンの真っ直ぐさに毎回感動していた。

青木さやかさんの声質もスーザンに合ってて好きだったな。人間味と温かさに溢れていて。より台詞と歌詞が地続きで。台詞のテンポ感も好きでした。

 

M6 それがあなた

ケイトほんっとにかわいい!肩に当たる度に跳ねる綺麗にカールのかかった髪、オールホワイトのコルセットのようなブラウスとロングスカート、ピンクの花のチョーカー。Theお嬢様。何を言われても自分を曲げない強かさにこちらまで元気が出る。きっとジョージもそれに助けられているのだろうな。ちょっと過大評価しすぎ…?と思わなくもないけれど。

ジョージは理想を語るけど、「偉そうなことばかり言ってまだ何も成し遂げてなんかいない」とか「さっきも頼ろうとした」とか、現実や弱さを素直に認められるところが良いところだよなと思う。

メアリーとダニエルもそうなのだけど、お顔立ちとか雰囲気とか、ケイトとマクレガーさんってすごく似ていて、親子なんだなあと感じるのがいいですよね。

 

M7 我々の気持ち次第

裁判長とマクレガーさんとアレックス。利害関係そのもの。相手の利益になることを次々と提示し、お願いし、お願いされる。どんどん積み上がっていくが、双方の利害のバランスが崩れたらすぐにでも切れてしまいそうな関係にも感じられる。

「M4 報われる世界」でも感じたけど、成功するために努力して来たからこそ、成功者としてのプライドがあって、だから努力しない者、貧しい者に厳しくなってしまう。

 

M8 娘のお願い事

「またお一人で行かれたんですか」とアレックスに言われていたり、「いつまで経っても彼女は頑固なんだから…」と呟いたり、なぜ彼女を…と言うアレックスに「お前は何も言わなくていいの」と遮ったり、なかなかに意味深。

「お前がそんなんでどうする。あんな三流弁護士にリードを許してる場合じゃないんだよ」「そうは言ってもお嬢様の気持ちもございますかと…」アレックスのケイトへの気持ちを考えると本当に不憫。というかアレックス基本不憫。

マクレガーさんのアレックスに対する怒声とケイトに対する甘々な声の変わり様に思わず笑ってしまう。「いつもは目も合わさず部屋に直行するのにどうしたんだ」という台詞に驚く。さらっと言うし、普段そんな態度を取られているのにその甘さなんだ…パパ…「お前にそんなことを言われたら大抵のことは何だって聞いてしまいそうになるね」という発言からも考えると、ジョージについてそこまで反対するのってよっぽどだよなあ。

お願いするときだけころっと態度を変えるケイトの潔さは観てて清々しい。「温室育ちで甘やかせすぎた」ってそうでしょうね。見てたら何となくわかる。押され気味だったのを「何よパパ!」って押し返すところが好きだった。「図星だからそんなに怒るのよ!ふんっ!」のふんっ!の言い方も好き。マクレガーさん、図星、なんだろうな。成功のために諦めたものがある。努力で手に入れたもののプライドと、手放したものの羨望と。

この一連のシーンのマクレガーさんって感情も表情もころころ変わってて可愛らしいですよね。ケイトのことになるとそうなってしまうくらい娘が愛しいのと、度々触れるけど、きっと完全な悪人でも、利害と欲だけの冷徹な人でもないのだろうな。

「お前がそんなんだからこんなことになるんだ!」「も、申し訳ございませ〜ん!」アレックスはやっぱり不憫。

 

M9 人生なんて

「何でこんな広い農場を1人で」や「こんなところ出ていって他に新しい仕事見つけたら?」と言われる度に、メアリーは苦しい思いをしていたんだろうな。

後ろで「とうもろこしこんなにもらったよ」って嬉しそうにボブに報告するルーシー。「まったく働いても働いても一向に楽になんてなりゃしない」の後に、口パクで「ちゃんと働いてね」って冷静に釘刺すルーシーと「はい…」ってなるボブ。この夫婦さてはかわいいな?

お酒飲んで、酔っ払って、大騒ぎする労働者の皆さん。愉快。「正直者が馬鹿を見る」で振り返るところと「誠実さなんて1セントにもなりゃしない」でお酒を突き出す振り一緒にやりたかった。

大人たちの喧騒から抜け出して、シーって唇に人差し指を当てて、こっそりラムに何かをあげるダニエルがずるい。かわいい。ラムにあげてた黒い物体って何だったんだろう。おやつだとは思うのだけど。そもそもラムのご飯って何だったのかな。

 

M10 いつも一緒に

「ダニエル!お前も飲めよ!」ってトーマスの背中の叩き方がそこそこ強くて笑う。「あのー僕はいいですー」の棒読みが好き。メアリーの「貴方にはまだ早いわ」にもまたダニエルが色んな世界を知って離れていってしまうのが怖いのかなと感じたり。メアリーの飲みっぷりに対してのボブの「お母さん見習えよ」ってアドリブも好きだったし、大千穐楽で「オカアサンスゴイネ…」って新しいアドリブを入れてきたのにも驚いた。ボブの好きなアドリブその2。

ダニエルが歌ってる後ろで、ルーシーボブ/メアリーバーバラ/キャシートーマスに別れて飲んでいるのだけど、まあ目が足りない。ボブが何かを拾い食いしてたの面白かったな。ミミズとかアリとか食べてたらしい。ほんと見てて飽きない。ボブの好きなアドリブその3。

メアリーがアルコール依存症の設定だと知って、「ダニエル皆んなにお酒を」って言われたときのダニエルの反応が腑に落ちた。何で大人はお酒飲むんだろうね。大人になるってどういうことだろうね。お酒を飲んで大騒ぎしたら楽しいのかな。わたしにもまだそれはわからないけど、わたしも騒がしいのは苦手だから向いてなさそうかな。でも、きっと、将来お酒を飲んだとき、大人になったことを感じたとき、ダニエルのこの言葉を思い出すのだろうな。

「大好きだよラム」の柔らかい歌い方と愛しそうな表情に本当に胸を打たれる。織山尚大さんの表現力恐ろしや…大好きだよナ〜オ〜…

 

M11 不幸もいろいろ

ブラウニーを巡っての不幸自慢。親友の裏切り、愛する人の心変わり。

ボブがトーマスにキャシーを紹介していたり、お酒を2人で飲んでいたり、なんか良い感じ…?と思っていたのに、「まあまあ可哀想だけど、オメーにも原因があるんじゃねえのか」って言ってキャシーを怒らせちゃうトーマス。あ〜あ。

「私に比べりゃまだまだだけどねえ」ってバーバラに何があったんだ…と思っていたら、桑原麻希さんがTwitterで「壮絶な人生(危険な男性達絡み)を渡り歩いてきた女性らしい」と。それであの貫禄…

ボブの「よし次は俺だ!聞いてくれ!」の後のバリエーションが豊富で楽しかったな。「俺なんかよお」「まだ生ぬるい秋の夜だった」「俺のばあちゃんがよお」ボブの好きなアドリブその4。その後の「あんたあたしに不満でもあんのかい!」ってお尻を叩くルーシーも好き。この夫婦かわいい(確信)。

メアリーは、みんなが不幸自慢をしているときは、良い気持ちはしないし参加もしないけど、まだ黙ってお酒を飲んでいられた。多分メアリーも今の生活は本当は辛くて、このままじゃいけないこともわかっていて、でも夫との思い出が大切で、離れることができないから、見ないふりをしていて。それを呆気なく他人に掘り起こされて、「幸せとは言えねえな」って断言されちゃったら、そりゃ拒否反応も出るし、怒るよなあ。幸せじゃないって認めてしまったら色んなものが崩れていってしまう気がするし。このどさくさに紛れて、結局キャシーがブラウニーをゲットするの好きでした。

ダニエルの「人って難しいね」って台詞があるのだけど、「M2 人として」の「人として何が大切か 人として生きる難しさ あなたにもいつかわかる日が来る その日が来るまで あなたはそのままのあなたで 母のわがままな願いだとしても 穢れを知らないその眼差しを いつまでも 見ていたい」って歌詞に繋がるのかなあ。メアリーの言うその日はもう目前まで来てるんじゃないかな。きっとメアリーもそれは気づき始めている。

ダニエルが「ねえ母さん、なんか嫌なことでもあった?」とあえて明るく聞くのが苦しいし、「本当はこの生活辛いんじゃないの」で少しだけ言葉尻に感情が滲むのにどうしようもない気持ちになる。父さんへの想いを大切にしてほしい気持ちと、辛さをお酒と一緒に飲み込んでる母さんを見たくない気持ちと。人って難しいね。

 

M12 誰のシンデレラ

自分の給料が形見を売ったお金って…気まずすぎんか…それもお父さんの大事な形見だってこれだけは譲れないって言ってたって…ジョージ…

「あんた何しにきたのよ」って言ってたのに差し入れに来たとわかって「よく来てくれたわね」と手のひら返しするところとか、「あらあらお嬢様はデートにまでお守りつきかしら」とか、蝋燭を20ドルで売りつけるところとか、ほんとスーザン好き。塩パン?だったり、顔の大きさくらいあるパンだったり、公演ごとに変わるのが毎回楽しみだった。

ジョージのケイトに対する「ごめん。油切らしちゃってて」とアレックスに対する「ああ。油切らしてんの」の言い方が全く違くて笑う。アレックスが自分の方を向いてないときだけ、変顔してたのもめちゃくちゃ笑った。横山だいすけさん本当に表情が豊か。

その敵対心剥き出しのジョージと嫉妬心剥き出しのアレックスの間に挟まれてるのに、慌てる訳でも止める訳でもなく、きょとんとしているケイトがかわいい。ただ鈍感なのか、「恋すると盲目」ということなのか。

 

M13 私だけわかっているわ

ジョージが後世にまで語り継がれる裁判をしたことと、その裁判を元にこのミュージカルが作られていることを知っている側からすると、ここでケイトがいきなり予言をし出したように感じられるのだけど、物語に沿っていくと、そうやって信じてくれる存在がいたから、ジョージはあの裁判をやり遂げられたのかなと思う。

ケイトが木箱の上に登るときはジョージとアレックスの2人の手を借りるのに、降りるときはジョージの手だけしか借りないのが切ない。

 

M14 犬にまつわることわざ

基本的に明るい曲調だけど、「自らの死をもって命の尊さを教えるでしょう」で少し不穏な雰囲気が流れて心がざわざわする。

ラムは寿命で亡くなった訳ではないけど、ことわざの通り、子どもが青年になったときに亡くなったということなのかな。でも、後でも触れるけれど、ジョージはダニエルのこと少年って呼ぶんだよなあ…

 

M15 愛犬ラム

はいかわいい!登場してジャンプするところ、「君は身体いっぱい」で木箱の上に座りながら手を広げて回るところ、「喜びを表して見てくれる」で、OKサイン👌🏻をして覗くところ、「何倍にも何倍にもしてくれるんだ」で手を振るところ、全部かわいい。こうやって踊っているところを見るとアイドルなんだな〜ジャニーズなんだな〜と思う。

「僕の親友ずっとずっといつまでも 僕の親友ずっとずっと離れないでね」“ずっと”も“いつまでも”も“離れない”も、有り得ないとわかっていて、それでも言わずにはいられないのを感じて泣いてしまう。覚悟しているからといって離れたい訳ではないもんね。

このシーンの何がしんどいって、初めてラムがダニエルより先に駆けて行ってしまうところなんですよね。今までは「さあラム!行こう!」や「ラム行こう」と呼んだ後について行ったり、先に行くときも「ラムご飯!」という掛け声があった後だったのに、ここでは手を広げるダニエルの股の下をくぐり抜けて行ってしまう。ラム、何処へ行くの。

 

M16 永遠の別れ

「彼女に会いに…いや色々話があるんだ」という言葉が、わたしがマクレガーさんがメアリーのことを好きなんじゃないかと思う決定打かな。わざわざ出向く理由が会うためって…好きじゃん…?

メアリーの家に何度も出向いてるのにラムのことを飼い犬だと知らなかったのかという疑問は残るけれど、野犬の被害があって、討伐隊にも回らせていて、犬が大嫌いで、自分とアレックスに向かって牙を剥きながら激しく吠えていたら。マクレガーさんなら殺すのだろう。ただ、認識が根本的に違う。ほんの数秒間でラムが殺されてしまうことも、犬の命に対する重みの認識が根本的に違うことを感じて苦しい。本当に呆気なく銃殺されてしまう。

銃殺されたラムをダニエルとメアリーが発見するシーンは正直どう綴ったらいいのかわからない。言葉を尽くしても到底書き表すことなど出来そうにない。それは語彙力云々だとか、感情がキャパを超えているだとか、それもあるけど、本当に織山くんの演技が凄まじかった。あのとき舞台上で生きていた命の悲しみと、それを観た痛みは、そこに居て肌で感じた者にしか伝わらない。名前を呼ぶ間、何度も呼びかける声、混乱、動揺、怒り、懇願、助けないと、治さないと、拒絶、放心。愛猫が亡くなって横たわっていた光景と重なって、何度もパニックになった。

ここで事務所のシーンが挟まれることで少し平静を取り戻せる。舞台を観ているときは気づかなかったけど、こうやって振り返ってみると、一旦ラムの死について描いていないシーンを挟むのってかなり度胸要るよなあと思う。観客の悲しみが途切れてしまう可能性もあるのではないだろうか。

自分を見放さず、叱ってくれているスーザンに対して、「いつまでも僕の助手なんかしてないで他の仕事先探せばいいだろう」というジョージには本当に呆れる。

 

M17 ラムのいない世界

吉田萌美さんの歌声が本当に美しい。「全身で表現する」のハモりに毎回鳥肌が立った。

「命の尊さを 人生の儚さを この瞬間の貴重さを」「犬は待つ 主人との交流の時間を 何よりも楽しみに大切に」「人にとっての数時間は犬にとっては数日 時間の重みまるで違う 忘れてはいけない 犬の時計の進み方を」毎公演、心に刻んでいた。

「彼の見る景色から色が消えた」と歌っているときダニエルの目に光が宿っていないことにゾッとする。ラムと遊んでいるときのキラキラとした目や、メアリーが言っていた「その綺麗な目」「穢れのないその眼差し」との対比に、ダニエルの見る景色から色が消えたことを痛いほどに感じる。

 

M18 受け入れられない

「少しずつでいい この事実を受け入れて 顔を上げてダニエル あなたは強く生きるのよ」って、そんなことはわかっているけど、失ったばかりのときには眩しすぎて痛い。メアリーも夫を亡くしているから「あなたの苦しみよくわかるの」っていうのは本当だと思う。でも、「このままだとあなたまで失う ダニエル お願いよ 私にはあなたが全て」だから。夫に続いてラムを失い、ダニエルまで失ってしまったら、本当にひとりになってしまうから。焦って「生きて」と伝えてしまう。わかるけど、やっぱり痛い。それに、夫との思い出を手放すことが出来なくて、貧しい暮らしで、息子を学校に行かせることが出来ていないのに、強く生きてって、メアリーあなたは?メアリーにとってはお金では動かず、農場を守ることが強く生きることだったのかな…

物音に反応してしまって、ラムがもういないことを突きつけられて、泣き崩れる瞬間が本当に辛い。ふとした瞬間に無いことを実感してしまうのってどうしようもない喪失感に襲われる。

「僕の親友ずっとずっといつまでも」と同じメロディーで「ラムがいないずっとずっといつまでも」と歌うのが本当に苦しい。

 

M19 僕に話して

声にならない声を上げて泣きながら、ラムのお墓を掘るダニエル。

観劇中は号泣していたからそこまで気にならなかったけど、ジョージの「宝探しでもしてるのか」って的外れもいいところだな。あんなに泣きながら必死で掘ってるのに宝探しな訳ないだろうが。

ケイトの手話に対して疑問の声を耳にすることがたまにあったのだけど、わたしは耳が聞こえないのかもと思った人に対して手話で話しかけることにそこまで違和感を持たなかったし、教養のあるお嬢様って感じでケイトらしいと思っていた。まあダニエルが全然見ていないのに手話をするのはちょっとズレてるか。

「もう会えないんだ」「もう会えないの」って、事実なんだけど、追い討ちをかけられているようで毎回辛かったな。

「捕まってません」「保安官には言ってません」「言っても無駄だから」「あなたいったい」「弁護士。僕はお金なんて持ってない。お願いできませんよ。ごめんなさい」の台詞の音の波が好きだった。保安官には言っても無駄と思っているのと、弁護士に対する過度な拒絶は少し引っかかる。後で詳しく触れますが、ダニエルは殺されたのが人間じゃなくて犬だと相手にされないと思っているのではないとわたしは考えていて。それよりも貧しいことに少し卑屈になっているのか、引け目に感じているのか。過去の経験、もしかしたらお父さんに関して、お金を持っていないから保安官や裁判官が取り合ってくれなかったことがあったか、逆に搾取されそうになったことがあったか…どれも想像の域を出ないですが。

ラムを失った悲しみと、寂しさと、さよならも言えず冷たい土の中でひとりぼっちにしてしまっている悔しさと、何をどうしたらいいのかわからなくて、ラムに会いたくて、ラムの元へ行きたくて。死の方へ引き寄せられていたダニエルをジョージがグッと手を引いた感じで。一旦生の方に傾いてしまったからには、ダニエルは「ラムのために」って立つしかなかったんじゃないかな。ラムのためと言い聞かせて、無理矢理自分を奮い立たせていた。何かが変わると信じなければ、ラムのいない世界でなんてきっと生きていけなかった。

東京公演の千穐楽で織山くんが倒れる寸前のときがあった。「何かが変わると信じて」の後によろよろっと2歩後退り、最後の「信じて」を歌えず、何度も苦しそうに肩で大きく呼吸して、それでもなんとか暗転まで耐え、メアリーに支えられて歩いていった。泣いた後に大声で歌うから酸欠か過呼吸になっていたのだろうと思うけど、わたしにはダニエルがそれだけギリギリの状態で立っているように見えた。それでも生きようと藻搔く命がどうしようもなく美しかった。わたしはあの光景を一生忘れられないと思う。

 

第二幕

M20 目撃

一般的な犬の命の認識を突きつけられるようで辛い。ボブの「よくある話だ。犬だけじゃない。馬だって素行が悪けりゃ処分される」って台詞もそうだし、仲が良いかつ同情してくれているルーシーとバーバラでさえ、ラムを「メアリーのところの飼い犬」と言うのが、人間と同じようには認識していないんだなあと感じる。

ここのメアリーにも「弁護士さん」の言い方に嫌悪感や怒りのような感情が滲んでいる。

ここでマクレガーさんがラムを殺したと知ったジョージがダニエルの話をろくに聞かずに突っ走ってしまうところに、心を救いたいのではなく、後でダニエルが言うように、裁判で勝ちたかっただけ、マクレガーを打ち負かしたかっただけであるを感じる。敗訴してばかりの現状を打開できること、この大きい事件で勝てれば富や名声が手に入ること、マクレガーを打ち負かしてケイトとのことを認めてもらえること、色々な良い想像が頭を駆け巡ってしまったのだろうな。「必死にみんなのために」「事件の報酬の大きい小さいで選んだりしない」「変わらぬ貴方がいてくれれば私はそれで満足よ」「自分の中の正義のために」ケイトが信じて褒めてくれていたところを悉く裏切る。

 

M21 利害関係

口添えした件が進んでいないこと。余計な詮索をしてしまったこと。利害のバランスが崩れて、あっという間に関係が悪くなってしまう。

マクレガーさん裁判長のことちょっと嫌いなんじゃんと。でも「この世とはすべては欲で動くもの」思っているけど、欲深さには嫌悪感がある。それって寂しいよなあ…

 

M22 人の本質

「信じてください 私の忠誠心を 私の人間性を見てください」と目の前で大声で訴えるのに、マクレガーさんには少しも届いていないのが切ない。アレックスどこまでも不憫…苦しみと孤独を吐露するようなマクレガーさんの歌い方にも胸が詰まる。今目の前にいるアレックスに気づいてほしいなあ。

 

M23 偏見

マクレガーさんも話の流れから、その殺した犬がダニエルの家族だってわかるはずなのに、わかった上で殺したのは犬だって馬鹿にするから本当に腹立つのだけど、心のどこかでわかる自分もいて。わたしにも友達で、家族で、心の底から大切な愛猫がいるけど、全ての人が人間と動物の命を同じだと思ってる訳ではないことなど思い知っている。

でも、ダニエルは違ったんじゃないかなと。ダニエルってジョージがマクレガーさんを問い詰めているとき、ずっと後ろで俯いてて、ほとんど反応を示さないんですよね。人と関わるのが得意じゃないとか、シガークラブっていう普段は来ない場所だとか、そもそもジョージを追いかけて来ただけとか、他の理由もあると思うけど、殺人事件と勘違いして恥をかいて走り去るジョージに「どうしたの?」って聞いたり、「わざとあんな真似を」って言われたことに「どういう意味?」って聞き返したり、「犬だってこと隠して僕に恥をかかせた」に対して「犬だから何が違うの 犬だから何だと言うの」って言ったり、多分なんでマクレガーさんが笑っているのか、なんでジョージが走り去ったのか、なんでジョージが怒っているのか、犬だから何が違うのか、ダニエルからしたら本当にわからなかったんじゃないかなと思う。

ダニエルってジョージに「たかが犬」って言われて初めて怒るんですよね。というか初めて人に強い負の感情が向く。ラムを殺した犯人がわかったときも「あのマクレガーさんだよ…」と言っていたから、相手がマクレガーさんであることも関係しているかもしれないけど、マクレガーさん自体に憎しみが向くことってないんですよね。ラムという存在の大きさや、悲しみ方を見ていると、許せないって怒り狂って復讐するルートも充分あり得そうなのに、ダニエルには微塵もそれがない。ましてや裁判で打ち負かしたいとも思ってない。他の登場人物が善も悪も複雑に描かれているのに対して、不思議なまでに純粋で素直で綺麗な子なんですよね。飽くまでわたしの解釈ですが。

ジョージがこの曲中とあと「M19 偏見」でダニエルのこと「少年」って言ってたと思うのだけど、ダニエルは結局青年なのか少年なのか。それともジョージが少年って呼んでるのには何か意図があるのか。う〜ん。

 

M24 街中話題の裁判

ダニエルのフルネームはダニエル・ベーカー。

マクレガーさんが「こんな茶番は滅多にない」「見なければ勿体無い」と嫌味を言っていて、やっぱりちょっと嫌なヤツ!と思う。

証人の「銃声が一発 犬は生き絶えました」で思わずダニエルの反応を窺ってしまうのだけど、横に座ってるスーザンも心配そうに見つめていて「スーザン〜!」となる。本当にスーザン好き。

あとバーバラが証言前にすごく緊張してたり、ルーシーが反対側から頑張れって応援してたり、証言後に呆れてたり。ここもまあ目が足りない。

いつだったか、バーバラが本来の「証人は前へ」じゃなくて、それより前の「証人もいる」で立ってしまったことがあったのだけど、バーバラのハッとした仕草や気恥ずかしそうな仕草、隣に座ってるトーマスとキャシーのまだだよって教える仕草で、バーバラが緊張して間違えてしまったように見えて、すごく感動した。ちょっとしたトラブルにも役のまま対応して自然に演技を続ける瞬間を観たとき、舞台が好きだなあと思う。この他にも、大千穐楽に向かうにつれて、役が生きてるな〜と思う瞬間が多々あって、キャラクターがどんどん魅力的になっていって、本当に素敵だった。

裁判は敗訴。「理由もなくダニエルの家族を撃ち殺した」って主張なら、「敷地の外、牙を剥いて吠えられた。飼い犬だとわかる術もない。野犬処分の条例もある」って言われるし、そりゃ訴えは棄却されるよなあ…

 

M25 愛さえあればは幻想

父と娘のすれ違い。

お金があれば愛が手に入るのか。愛があればお金はいらないのか。

マクレガーさんと妻の関係が詳しく書かれていないから何とも言えないけど、豊かな暮らしをさせることもひとつの愛情の形だったんじゃないだろうか。「貧しさを飢えを知らないから綺麗事を言えるのだ」って言うってことは、マクレガーさんは貧しさや飢えを知っているみたいだったし。とすると、娘がジョージと結婚するのはそりゃ心配だよなあ。

 

M26 ママの涙

ママの寂しそうな涙が忘れられないから、パパのような人とは結婚したくないのに、ママを幸せに出来なかったそのパパが反対してくる。反発したくなるケイトの気持ちもわかる。

ケイトに暴力を振るってしまった手を暫く気にしてるマクレガーさんがまた切なくて…

「私は施設で育ったから」からの曲と神田恭兵さんの歌声が良すぎて涙ぐんでしまう。「裁判を通し見えてくる 世の難しさ複雑さ 人は愚かで愛おしい その矛盾を抱えて生きる」で、今まで個人の心情に注目してきたのが、ふわっと視野が広がって俯瞰する感覚が美しかったな。そこから「親子だろうと恋人だろうと簡単に答えなど出ないのだから」でマクレガーさんとケイト親子からボブとルーシー夫婦の話へ移る転換も美しかった。

 

M27 恩知らずの薄情者

愛する人の親まで愛せるのか。愛、屋烏に及ぶと言うが、どこまで及ぶのか。愛する人の親と言えど所詮は他人か。

「俺たち2人食っていくだけでも大変なんだ」って台詞があって、ここでも貧富について触れられている。もしお金があったら、ボブは家でルーシーの親の面倒を見ることを了承してくれたのか。優しさは余裕だよなあと改めて思いつつ、現実的に見たらボブは堅実だよなあとも。

「愛の形は一瞬にして変わるものなの」

 

M28 自分らしく

自棄になるジョージ。前にも少し触れたけど、ジョージは完璧なヒーローではない。マクレガーさんもまた完全な悪人ではない。ラムとダニエルという純粋さを真ん中に、ジョージとマクレガーさんが正反対にいるように一見思えるけど、必ずしもそうではない。それは他の登場人物にも言える。この作品って本当に細かく、至る所に対比が散りばめられているんですよね。それぞれにそれぞれの立場や思いがあって、矛盾を抱えながら生きている。当たり前のことで、尊重されるべきことだと思う。だからといって、自分の価値観で人の価値観を否定してはいけない。他人の大切なものも同じように尊重するべきであると。

ケイトの「それは私のため?私と一緒になるためそんなことを」ってちょっとズレてるというか、自分のために色々やってもらってきたお嬢様らしい発想というか。そこがケイトらしくて愛らしいのだけど。

ジョージはケイトがいたからあの裁判を成し遂げられたって上述したけど、同じかそれ以上にスーザンの存在も大きいよなあ。どんなことを言っても、どんな状況でも、見放さないで、叱ってくれる存在がどれだけ有難いか。街中の笑い者で、評判も落ち切って、経営や生活がもっと危うくなって、ケイトにも「今のあなたなんか」って言われて、スーザンがいてくれなかったらジョージはどうなっていたか。顔は叩くふりだけど、その後に肩を叩くときは実際に、しかもそこそこ強めに叩くのに思わず笑ってしまう。

 

M29 犬との約束

照明を浴びながら、両膝をついて手を組んでお祈りするダニエルとメアリーが美しくて…

「いつかもっと立派なお墓を建ててあげましょうね」って励ますメアリーを「ありがとう。もう少しここにいるから先帰ってていいよ」ってほんのり拒むのが痛い。「人と関わるのが得意じゃないあなたが裁判まで出て、精一杯戦ったじゃない。きっとラムも喜んでるわ」「もう自分を責めないで。ラムもそんなこと望んでないはずよ」でもラムのためにって前を向いたからには、報告できることがなきゃいけなかったし、それが無い今は自分を責めることでしか立っていられなかった。「ありがとう母さん。ラムと2人にさせて」ってメアリーの手を優しく解くのが余計に苦しい。

「ジョージはラムのために頑張ってくれたよ。仕方ない」と言うときは落ち着いて話しかけていたけど、「あの日ひとりにしてごめんね」で声が震える。「怖かったよね。ねえラム、犬だからってどうして笑われないといけないの?悔しくて悲しくて仕方ないんだ」と、裁判に勝てなかったことよりも、ラムを失った悲しさ、寂しさ、ひとりしてしまった後悔、ラムを笑われた悔しさが強いのだろうなと思う。でもラムとの思い出をなぞると、感謝ばかりが溢れて止まなくて。ラムから貰ったもの、ラムが教えてくれたものを想ったら、ダニエルはみんなに伝えると約束せずにはいられなかったのだと思う。「約束するよ みんなに伝えるから 君が教えてくれたこと 人を信じ思いやること 見返り求めず愛すること 伝えるから 君にいつか 笑顔でありがとうと言えるように」悲しみに暮れているときは青白い照明だったのが、ラムから貰ったものをひとつひとつ思い出していくと、だんだんとオレンジ色の照明に変わっていくのが綺麗だったな。あたたかさが心に灯っていくような。

ダニエルのこと、不思議なまでに純粋で素直で綺麗な子って書いたけど、それってラムと一緒に過ごしてきたからなのかもなあと思う。元々の性格も勿論あるだろうけど。犬の優しさに触れるから飼い主も優しくなれる。でもラムがそうだったのはダニエルだったから。「みんなラムみたいに穏やかだったらいいのに。人がみんなラムみたいに優しかったらいいのにな」って言うくらい、ダニエルにとってラムは揺るぎなく穏やかで優しい存在なのだけど、それはダニエルがラムに対して穏やかで優しかったからだよと思います。「なぜ君はそこまで愛してくれたんだろう そこまで信じてくれたんだろう」って言うけど、ダニエルがラムをそこまで愛したから、そこまで信じたからだと思う。ダニエルは貰ったばかりじゃないよ。ラムに沢山のものを与えていたと思うよ。飼い主が優しいから犬も優しいし、犬が優しいから飼い主も優しい。鶏が先か卵が先かみたいな話になってしまうけど、その相互作用は確かにあると思う。利害関係ではないからって、見返りを求めない愛だからって、与え合っていない訳じゃない。

 

M30 街中話題の裁判2

今までこのブログで物語に沿って追ってきたように、登場人物の心情や行動原理の一つ一つは理解出来たし、共感もした。ダニエルに至ってはリンクするところがありすぎてブラックアウトするまで泣いた日もあった。でも、わたしはジョージのスピーチだけは納得出来なかった。と思う度に、このミュージカルが「オールドドラム裁判」という実際にあった裁判をもとに、そこで語られたスピーチから物語を膨らませて作られているということを思い出して、手のひらから零れ落ちていくような心地になる。

このスピーチが「犬を殺した行為自体の話」ならば、犬が決して裏切らない、恩知らずでも不誠実でもない、絶対に変わることのない唯一の友だから、犬は利害や欲ではない見返りを求めない愛をくれるから、殺してはいけないのか。それが犬を殺してはいけない理由なのか。それは本当に命に階級がないということなのか。見返りを求めない愛は無条件の愛なのか。犬に選択権は無いのか。忠実や誠実でない犬はいないのか。いたとしたらそういう犬なら殺されてもいいのか。忠実である存在がそもそもいない野犬はどうなるのか。愚かで、利害や欲でしか繋がれなくても人の命は尊重されているように、犬だって、他の動物の命だって、素晴らしかろうが、そうでなかろうが、尊重されるべきものではないのか。命って、階級がないって、そういうことではないのか。綺麗事かもしれない。理想論かもしれない。人と犬の命に差が無いことを訴えるには、犬の素晴らしさを説かなければ伝わらないのが現実なのかもしれない。それでもわたしはみんなと一緒に拍手を送ることは出来なかった。

 

マクレガーさんがダニエルに農場を譲ってくれたことと犬の保護施設を任せてくれたことがわたしにとっては救いだった。裁判で勝てて、ラムから貰ったものをみんなに伝えられて、笑顔でありがとうと言えて、もしかしたらそこで完結してしまっていたんじゃないかなって。ラムのために!みんなに伝えるんだ!笑顔でありがとうって言うんだ!って気持ちで立ってたところがあると思うから、それを達成してしまったら、あとはラムがいない現実と向き合うしかない。お母さんと2人農場で変わらぬ日々を過ごしながら、変わらないからこそ、その日常にラムがいないことを突きつけられて。だから新しくやるべきことがあって、ラムの代わりにはならないけど、そこに犬がいてくれることが良かったなあって。ダニエル生きていけるんだろうなあって。今も犬の保護施設を運営してる姿を想像できる。わたしの中でちゃんとダニエルが幸せそうに生きてる。それがかなり救いになった。

メアリーにとって良かったのかはわからない。貧しくても手放せなかった農場を譲ってもらえて、これから先ずっと夫との思い出の中で暮らしていくのだろうな。ダニエルも農場に居てくれて、ひとりになることなく。ダニエルよりも先に「ありがとうございますマクレガーさん」って頭を下げるのも、ああそうだよな、メアリーの望んでいたことだよなと。メアリーが亡くなったとき、ダニエルに貧しい農場を残してしまうよりは良かったのかな。そのときダニエルが農場を手放して新しい仕事を探せたら良いけど、もしお父さんとお母さんとラムとの思い出が詰まった農場だからって離れることが出来なかったら…と考えると少し恐ろしくなる。何が幸せかなんて難しいし、他人が決めることでもない。ただ幸せに暮らしていてほしいと願う。

裁判長は利害と欲で動いていたから、この物語の中だと仕方ないのかな。マクレガーさんも裁判には負けたけど、改心して、ケイトとも分かり合えた。ジョージは名声を手に入れて、それによってきっと富も手に入れて、マクレガーさんに認めてもらえて、ケイトとも結婚出来るかな。それによってスーザンも豊かな暮らしが出来そうだし、ジョージの信念のもと事務所で働ける。ケイトもマクレガーさんとわかり合えて、ジョージと結婚出来る。再審では離れて座っていたボブとルーシーも仲直り。だけど、「世の中では親友でさえあなたを裏切り敵となることがあります。愛情を込めて育てた息子さんや娘さんも、深い親の恩を忘れてしまうかもしれません。あなたが心から信頼しているもっとも身近な愛する人もその心を翻すかもしれない。富はいつか失われるかもしれないし、もっとも必要な時にあなたの手にあるとはかぎりません。名声はたったひとつの思慮に欠けた行為によって、あっという間に地に落ちてしまうこともある。成功に輝いているときには跪いて敬ってくれた者が失敗の暗雲があなたの頭上を翳らせた途端に豹変し、悪意の石を投げつけるかもしれません」

 

M31 あなたの犬

でも、このシーンをみると、あのときダニエルが信じていたように、何かが変わっていることを感じられる。「でもひとつだけ ひとつだけ みなさんにお願いがあるんです ラムのために笑顔で祈ってやってくれませんか」と言うダニエル。一人一人が歌を繋いで、そしてみんなの声が合わさる。ラムから貰ったもの、ラムが教えてくれたこと、みんなに伝わったんだなあって。ラムとの約束を果たせたんだなあって。一幕終わりと舞台上の状況は同じだけど、みんなの心の中に同じものが宿っている。きっと利害や欲ではない、見返りを求めない愛を知ったからと言って、人がみんな穏やかに優しくなれる訳でも、すぐに世の中が良くなる訳でもない。きっとそんなに簡単じゃない。少なくともわたしはそう思う。でも知ったという事実はそこにある。何かは確かに変わっている。

このシーンを通してそう感じたとき、わたしもそうだよなあと思う。スピーチに拍手を送ることが出来なかったからといって、その作品の核となる部分を肯定できなかったからといって、作品から受け取ってきたことが無くなる訳じゃない。ラムが教えてくれたこと、ダニエルが伝えてくれたこと、「犬との約束」から貰ったもの、それが心に灯ったという事実は確かにある。何かは確かに変わっている。だからそれを忘れないでいたい。受け取ったもの、自分の中で変わったことにきちんと目を向けて、大切に抱えていたい。「すべての表現は自由」表現をする方だけでなく、受け取る方も自由だと、織山くんがわたしに教えてくれたことだ。

だからといって考えることはやめたくない。考えることの大切さや楽しさもまた織山くんが教えてくれたことだから。納得出来なかったものは納得出来なかったと認め、何故納得出来なかったのか、何故疑問に思ったのか、自分はどういう考えなのか、放棄せず、真摯に、“考える”ということと真正面から向き合う。命についてだってそう。「それはまだ、命に階級があった時代」とホームページやポスターに書かれていたけど、悔しいけれど、今の時代にも命に階級はあると思うから。

 

このシーンでみんなの声が合わさったとき、ダニエルが「ラムのために」って立ち上がってから初めて泣くんですよね。安心したような、張り詰めていた糸が切れたような。それでも悲しみの大きさは減っていないような。でも今のダニエルなら大丈夫かなと思う。「悲しみは消えないけど 笑顔でありがとうと言うよ」ならきっと大丈夫。

「富を失い 名誉が地に落ちても 空の太陽のように 犬は変わることなく あなたを愛する 忠実な友のまま」という歌詞を聴いたときに、「M1 オーバーチュア」で感じたことが思い起こされる。朝日、昼光、夕日、夜、月光、夜明け、そして朝日。観客にも舞台上の登場人物にも等しく、毎日変わらずにある日の流れを感じる。ああそうか、あれはラムだったのか。毎日巡る太陽のように変わることなく、明るく、暖かく。

「僕の親友 ずっとずっと 心の中に いつまでも」

 

2022年5月9日

花夜(Twitter:@inochinokakera_)